結婚観の変遷

キリスト教と結婚の関係

愛こそ全て

こうした結婚という歴史を考えてみると、キリスト教であっても黒歴史と呼ばれるような一面は少なからず存在していたと言えるだろう。どれだけ日本でキリスト教式の結婚式が美化されすぎているのかをはっきりと自覚させられる。こうした歴史的事実も考察すれば、本当にどういう結婚が正しいのだろうという点で迷いが生まれて出てしまいそうだ。

だがそれでもキリスト教にとって結婚というものは神聖視されており、日本人以上に海外の人々にとって結婚式の重要性を理解しているからこそ、人によっては艶やかすぎる催しと言われても遜色ないくらい派手なものにするのも頷ける。そういう点から考えると、キリスト教にとっての結婚、すなわち男女間における愛情という情も少なからず関係しているだろうと考えられる。古代の頃こそ女性をただ物のように扱うのは当然、むしろ女性に人権なるものは存在しないとさえ言われていた。日本にもそんな時期が存在しており、夫優先といった思考が当たり前と思っている人が多いだろう。

この点については、キリスト教という枠の中でも違いが生まれている。特にギリシャとローマでは結婚というものがどうあるべきかという点も面白いくらいに違っていたりする。

結婚しようそうしよう

キリスト教における結婚観の差異

ギリシャの場合

キリスト教にとって結婚というものは『男女間で愛が必要』だと考えられている。この時点でかなりこっ恥ずかしいのだが、事実なのでとりあえず話を進める。ただこの愛という中心点がどの辺りに比重を置いているかが重要で、この点がギリシャとローマで大きな違いを生み出している。

ギリシャの場合における愛とは、まさに『男女間の仲』という意味で表されている。互いを想いやる心があればそれに勝るものはないと考えられ、それが生きていくための原動力とさえ考えられていた。また愛があるからこそ離別は許されないと考えられており、一度寄り添うと誓った相手と生涯を共にしなければならないとまで言われている。最近の海外、特に有名人を例にすると結婚・離婚を頻繁に繰り返している人もいるためイマイチ真実味が無いと思うかもしれないが、そうした例は一旦置いておこう。

ただ離婚という別れは必ずしも認められないわけではない、離別することが唯一許される原因として挙げられるのが、先ほども軽く触れた性交渉をすることだ。特に性交渉に関しては女性が行うことを固く禁じており、妻は命をとして夫と認めた人を支え続けることを枷とするといった意味合いも当時の結婚には意が込められていた。

この考え方はイエス・キリストが弟子たちに唱えたことで、やがてこうした考えが広まっていったことで現在のキリスト教が誕生し、そして妻となる女性たちにとっても社会的地位が守られることになる。当時は女性たち、敬虔なキリスト教信者に取っては純潔を守る事こそ天国へ行けるとも考えられていた。

ローマの場合

こうしたギリシャにおけるキリスト教の価値観は、ローマにとって異端過ぎた。古代ローマにとって結婚の中心は『家』であり、その家を守るのが男の役目として言い伝えられており、女性たちはその家を守るためには道具としての扱いをされても許されることだと、そんな風に見られていた。何より女性という存在は一族を繁栄させていくために子供を作る道具という見方もあり、そして一族に生涯すべてを捧げなくてはならなかった。

またこの一族という仕組みが男たちの優位を更に底上げしていき、男性は妻がいても他所で女性と関係をもつことが許されており、いかに男性優位の社会こそが素晴らしいと唱えていた。一方で既婚女性が夫以外の男と関係を結んでしまうと、姦通罪として死罪となってしまう。この点がギリシャにおいて普及した、イエス・キリストが唱えたキリスト教のあり方との違いだ。ただイエスが登場する前まで、ギリシャもこうしたローマの考え方が普通だと認識していた。それがキリストの登場によって、彼の弟子たちは女性が例え姦通を犯したとしても、死を持って償うべきではないと唱えた時には衝撃を受けたという。ただそれも神の子としての資質があってこそ納得して、これまでの自分たちが間違っていたと認識して伝播していき、やがてローマにおける価値観こそが間違っているとまで言われるようになっていった。

ローマがかつてはギリシャにも多大な影響をもたらしていたが、神の子という1人の存在によって根底から覆させられたというわけだ。

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結婚という誓約

こうした結婚観の変遷があるからこそ、現代で行われている華やかな結婚式を生み出したと言える。それも全てはイエス・キリストという存在あってこそだ、古代において結婚とはあくまで女性にすれば社会的な地位として、まるで家畜のような扱いを受けてしまい、1人の人間としての自由さえ剥奪されてただただ、男のために役立つ生き物として扱われることが宿命付けられていた。

今だからこそ思うが変だと言える、ただこれは当時にとって普遍であり、常識であり、認めなくてはならない事実だった。キリスト教式の結婚式に憧れを持っている人、これから実際に行うという人は、こうした過去にあった歴史的事実と宗教的価値観から、幸せな挙式をあげられることを感謝しなければならないのかもしれない。

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