結婚式とキリスト教

キリスト教と結婚の関係

九割方が切望している?

結婚式というものに大層な希望を持っている人は多いはず、特に情勢に関していえば現実的なことを言ってしまえばお金というものを忘れるくらいのことを。時々放送される芸能人、もしくは皇族といった知名度の高い人が結婚式を生中継して、幸せ一杯の模様をお送りしている姿を見て、自分もいつかこんな結婚式を挙げたいと夢高らかに考えているのではないかと思う。ただ結局はリアルの問題に立ち帰らされてしまい、最近では式は資金が貯まってからしようという人が多い。筆者の知り合いにも長年の交際の末に入籍はしたが、式についてはコツコツと貯めてから、なんてパターンを取っていた人もいた。

それくらい日本人だろうとアメリカ人だろうとイギリス人だろうと、大々的で華やかな結婚式にしたいという理想を持っているもの。それはいい、ただ日本人という視点から考えれば式の挙げ方に関しては宗教次第で様々なやり方がある。日本で言い伝えられている主な宗教としては、神道に仏教、そしてキリスト教だ。一部ではイスラム教を信奉しているという人もいるが、こちらに関しては最近国際情勢的なことを考えれば、式を挙げるとなったら誤解を招きかねない展開が起こって逆に面倒なことになってしまうという、困っている人もいるだろう。宗教というものは時に人々の道標と掲げられている御旗であり、時に人々を翻弄する混沌の象徴だったりと両面性を持っているためしょうがない部分だろう。ただ仮に4つの宗教を主な対比としても、大部分の人がキリスト教に則った結婚式にしたいと考えていると思う。

確かにキリスト教式の結婚式は見た目からすれば非常に華やかだ。その点については認めよう、花嫁の純白ドレスに身を飾った姿を見て憧れ、自分もと意気込むのはいいとしてもだ、少し考えてもらいたいのがそれが自分たちの思想に乗っ取った結婚式になっているかが一番重要な点となる。もちろんキリスト教に準じての神に対する信奉心を持たなければならないというのはもちろんだが、日本人には馴染みのない様式もこなさなければならないということもある。一見すると見た目の豪華さであまり知られていないが、いざ自分たちが結婚式をするとなったらその点についてもキチンと理解していなければならない部分が出てくる。そういう細かい所を見落としがちだったりするのは、現代人ならではといったところか。

ではここからはそんな結婚式について、特に今では当たり前になったキリスト教式を採用した物について考察をしていこう。

日本には結婚式はなかった

結婚式と呼ばれるものは今では当然行われるものだと認識している人がいる、それも金銭的な問題が解消してからようやく開けるのはいいとして、そもそもこの日本には『結婚式』と呼ばれる儀式は存在していなかったことをご存知だろうか。昔、結婚式が日本で行われるようになった時期は今からまだ130年前、明治時代からが起源なのだ。そもそも日本の宗教、神道と仏教というものに結婚式と呼ばれ婚礼の儀は存在せず、男女が契りを結ぶための儀式としては

  • 嫁入り
  • 披露宴

この二つを行えばそれだけで男女が将来の伴侶として寄り添うための儀と認められていた。元を正せば結婚式は日本の文化にはなく、流れてきたキリスト教ならではの儀式だったのだ。この頃は丁度宗教的にも関門が緩く、様々な考え方が広まっていた時期でもある。鎖国体制が崩れたことで閉塞的かつ封建的な日本から脱却するように様々な国の文化と思想がたちまち日本全土を覆い尽くしていった。無論それ以前からキリスト教を始めとする宗教はもちろん、学問などの必要な知識と情報は流動的な動きを見せていたが、前者に関しては特にひっそりと息を殺しながら普及している中での繁栄を取るしかなかった。

新時代の黎明によりキリスト教もようやく大手を振って表に出られたことで結婚式における、今までの日本では考えられてなかった結婚式という概念が広がり始める。当初、結婚式について知識は広まってもそれを開くことに関して本当に必要性があるのかと疑問に思う人はいた。ただ先にも紹介したような華やかと豪華は豊かさの象徴のように取り沙汰されることで、開催したいと願う人が増えていったことも事実だ。ただこうした点ばかりに注目して、結婚式がキリスト教にとってどれだけ重要な儀式なのかを自覚していないままやろうとしている人は、まず認識を日本人視点ではなく、キリスト教徒視点で見るよう努めなければならない。

キリスト教から見た結婚式とは

長く受け継がれてきたことで日本人も結婚式を開くことはは一般的、人によっては常識的だと考えている人もいると思う。信者視点ならばそれも説得力を持っているが、あくまで日本人としての固定観念や偏見で物事を発言しているようだったら、捉えている意味と重要性を理解していないのでないかと疑った方がいい。それだけキリスト教徒にとって結婚式は人生観としてみても必要不可欠な儀式として考えられているからだ。

では日本人はそう考えているかというと、開こうとしている人たちにとっては重要だが、来賓にとっては実のところ『出席するかどうかはその時々によって変わってくる』、そんな考え方を持っている。詳しくまとめると、

  • キリスト教徒としての視点:結婚式は花婿と花嫁はもちろん、訪れる全ての人々にとって‘必ず’出席しなければならない。 代わりにその後に開催される披露宴には出席するかは個人の意思で決める
  • 日本人としての視点:結婚式は花婿と花嫁には重要だが、親族を除いた人々にとっては『出席は自由意思』となっている。対して披露宴には‘必ず’参加しなければいけないと考えている

これくらいの違いがある。随分な違いといえよう、結婚式については親族だろうとなかろうとキリスト教を信奉している人々からすれば絶対に参加する必要があるものとしているに対して、日本人は親族以外だと結婚式よりも披露宴には絶対参加しなければならないと、そんな風に考えているのだ。

式を挙げる方としては失礼だろうと感じるかも知れないが、これが宗教における結婚観の違いというものであり、強制するといったことをしてはいけないのも事実となっている。ただ豪奢だからと、ずっと夢だったからというのはあくまで本人たちの希望でしかなく、日本人の場合だと真にキリストという唯一神を信仰する宗教に対して身も心も捧げていなければ結婚式にさして重要性は感じない。よほど親しい間柄であればそんなこともないが、本来の結婚式というものに当てはめて考えるとこうした考え方が普通となっている。

式場決めましたか?